金スマ に YOSHIKI 出演。涙の告白…すべて僕のせいなのか。メンバー2人の死、洗脳、父の自殺。(1)
2018/3/30(金)に放送された金スマ波乱万丈にX JAPANのYOSHIKIさんが出演されたので
その情報をつらつらと書いていこうと思います。
基本文字起こしです。
かなり細かく書いていこうと思いますので
速度制限にかかって動画が見れないという方なんかはぜひ。笑
目次
1. オープニング
2. YOSHIKIの幼少期
3. 父の死
4. YOSHIKIの学生時代1
5. YOSHIKIの学生時代2
6. 「X」結成
7. 「X」メジャーデビュー
8. 「X」世界進出
9. Toshlの洗脳騒動、X JAPAN解散
10. HIDEの死
11. 自分にはまだ音楽がある
12. Toshlとの再会、X JAPAN再結成
13. TAIJIの死、そして現在
本記事における会話中の表記
YOSHIKI⇒Y
中居正広⇒中
大竹しのぶ⇒大
室井佑月⇒室
安住紳一郎(TBSアナウンサー)⇒安
スタッフ⇒ス
表記がないものについては画面に表示された文字か
ナレーターが喋った言葉です。
1. オープニング
私たちは何も知らなかった。
次々と明かされた衝撃的な真実。
1999年、天皇陛下御即位10周年を祝う国民祭典で
日本を代表する作曲家としてお祝いの曲を国から依頼され
2005年の「愛・地球博」では公式テーマソングをプロデュースした
国民的アーティスト、YOSHIKI。
今回収録が行われたのは3月24日。
彼はある決意をもって金スマのスタジオに来ていた。
出演にあたり番組がYOSHIKIに依頼していたのは
生い立ちから現在に至るまでの半生を語ってほしいということ。
ワイドショーを大きく騒がせたX JAPAN解散へと続いた
ボーカルの洗脳騒動から、日本中が騒然としたメンバーの死。
国民的ロックバンドX JAPANのリーダーとして
YOSHIKIが経験してきた壮絶な道のりを聞くつもりだった。
しかし
4時間にも渡る収録の中で彼が語ったのは
私たちの想像を超えたいくつもの新事実だった。
ボーカルの洗脳
メンバー2人の死
次々と明かされた、YOSHIKIが封印してきた過去。
そして
父親の自殺
彼の人生を変えた悲劇。
彼は一体何を抱え込んできたのか。
私たちは何も知らなかった。
中:さぁ、テレビの前やカメラの前で
自分のことをあまりお話しするような方じゃないなっていうようなイメージがありますけども。
今日はいろいろとお話しを伺いたいと思います。
YOSHIKIさんです、お入りくださいどうぞ。
中:YOSHIKIさんですよろしくお願いいたします。
赤のみなさんの拍手がエンディングのような感じで。
あまり自分のこととか自分の生い立ちとかを語るってことは今まで…
Y:楽しい人生だったらよかったんですけれども
痛みを伴った人生だったので…
まぁ全部終わったわけではないですけども。
なのですごくつらい。
中:なんかこうMUSIC STATION出ます歌番組出ますっていう時に
リハをやらないで本番前にワーってやってガーってやってワーって
そのまま帰っちゃうみたいなイメージがあって(笑)
Y:結構そういうイメージですけど、実は結構前日とかにやってて。
中:前日のリハーサルでやってるんだ(笑)
えー言わないでそれ(笑)
Y:結構陰で努力してるんですけど(笑)
安:今夜はこれまでYOSHIKIさんがあまり語ることのなかった
人生のこと、音楽のこと、メンバーのことを語っていただきます。
2. YOSHIKI幼少期
これまであまり語られることのなかったYOSHIKIの人生。
今回金スマのインタビューの中で彼は幼少期の記憶についてこう語った。
Y:結構ブラックアウトしちゃって。
急に真っ白になっちゃうような感じで。
その瞬間からいろいろ途切れちゃってて。
今夜初めて語られる、YOSHIKIが封印した過去。
共に歩んだX JAPANのメンバー2人はすでに他界。
そんな波乱万丈な人生の始まりは、幼い頃に目にした
父親の衝撃的な死だった。
Y:ただ、ね、その…もう、弟もいますし、母もいたんで
一応長男じゃないですか
そういう痛みっていうのは本当に昨日のことのように
未だにうなされたりもしますし
YOSHIKIの人生に大きな影響を与え
今も直視することができないという父親の死。
その悲劇は、YOSHIKI10歳の時だった。
海に近い自然豊かな街に2人兄弟の長男として生まれた、林佳樹。
実家は老舗の呉服屋。何不自由ない裕福な家庭で育った。
しかし、幼い頃のYOSHIKIは体が弱く、小児喘息も患っており
発作が起こる度に入院生活を余儀なくされていたという。
Y:かなり細くて青白くて、だいたい入院してましたね。
母も言ってたと思いますけど、たぶん大人になれないんじゃないか
ってぐらいに思ってたみたいですね。
いつか死んじゃうんじゃないかみたいな。
そんな虚弱体質だった彼に、尋常じゃないほど愛を注いだのがYOSHIKIの父だった。
Y:父はプロのタップダンサーだったらしくて
母がそれを見に行って結ばれたという風に聞いています。
まぁかっこいいと言えばかっこよかったんでしょうね。
ピアノも弾いてましたから
ジャズピアノを弾いてましたね。
YOSHIKIの父は呉服屋を営む以前、映画俳優としてスカウトもされており
ジャズやクラシック、音楽に精通する一方で
日本刀の収集が趣味など、多才で行動力の溢れる人物。
また、寝たきりで外で遊べないYOSHIKIに対し
Y:毎日がクリスマスだったみたいな。
毎日何かおもちゃを買ってきてくれて。ほぼ毎日ですね。
車で送り迎えをよく、病弱だったのもあるんでしょうけど
学校とかにも送り迎えしてもらいましたね。
さらに、YOSHIKIの体調が良い日には
家から近い海岸へ2人で釣りに。
なんでもできて、誰よりも愛情を注いでくれるかっこいい父。
そんな父親の血を引き継いだYOSHIKIは4歳になると
Y(4歳):お母さん、僕、ピアノを弾きたい。
昭和40年代はまだピアノが家庭にあるなど珍しかった時代。
それでも父は、息子が元気になるならばと、両親はすぐにピアノを買ってくれた。
その後、近所のピアノ教室に通うようになると、その腕前はメキメキと上達。
すると、こんなことを思うようになったという。
Y(4歳):僕、将来はピアニストになる!
両親が買ってくれたピアノ。
YOSHIKIは父に褒められたい一心で夢中になって鍵盤を叩いたという。
Y:お父さんが毎月クラシックのレコードを買ってきてくれたんですね。
それをいつも聴いていたので、なんとなくその歳から
自分はピアニストになるんじゃないかみないには思ってました。
身体は病弱ながら、音楽の才能を見せるYOSHIKI。
そんな息子に父は、毎年誕生日にギターやトランペットなど
新しい楽器をプレゼントすることが恒例となり
YOSHIKIはますます音楽へのめり込むようになった。
その後小学校に上がり、少しずつ大人になっていくYOSHIKIに
父は趣味の刀や車の話など、まるで友人のようになんでも話してくれた。
Y:最初にデビューして買った車がロールスロイスなんですね。
父がやっぱりドライブ連れてってもらった時に
ロールスロイスを見て、「この車乗りたいんだよ」って言っていたのを覚えてまして
25歳だったかなその時、ロールスロイスを買いました。
父のようになりたい。
YOSHIKIにとってヒーローである父親は常に憧れの存在。
しかし
3. 父の死
YOSHIKI、10歳。
突然の別れが訪れたのは小学5年生の夏休みだった。
Y:夏休みなんですけど楽器の練習しに学校に行ってたんですよね。
何もなかった。
まぁその前の晩「お父さん帰ってこなかった」みたいなそんな感じだったような。
なぜか父がいないこと以外はいつもと変わらない朝。
しかし、楽器クラブの練習が終わり帰った家は、それまでとまったく変わっていた。
いつもとは違う、家の雰囲気。
ただならぬ空気を子どもながらに感じたYOSHIKIは、恐る恐る奥へ向かったという。
すると、目に飛び込んできたのは、親戚たちが泣いている姿。
そして、その奥には
Y:最初はよく分からなかったですね。
なんか夢を見てるのかなみたいな。悪夢を。
みんな泣いているんで「あ 死んだんだ」って思いました。
寝てるんじゃないんだなって。
突然の出来事に、茫然とするYOSHIKI。
すると、親戚の一人が
お父さんはね、病気なんだよ。
疲れて眠っているから、今は起きられないんだ。
Y(10歳):嘘だ!
父さん死んじゃったんだ!父さん!父さん!ねぇ父さん!
Y:自分ではよく覚えてないけど
泣いて暴れまくったって言ってました。
よく分かんなくなっちゃいましたね。
「何が起こってるのか分からない」って。
親戚のおばさんか母に当たり散らした気がします。
「何が起こってるの?」みたいな。
まだ34歳。
働き盛りの父が、一体何故。
この時、父の死因は心臓発作だと聞かされたYOSHIKIだが
後に彼は、父の死について衝撃の事実を知ることになる。
夏休みが過ぎても癒えることのない、父を失った悲しみ。
すると、次第に考えるようになったのは
Y:生きてるって何?ってことを考え始めました。
なんで僕は生きてて、なぜ父は死んでるの?みたいな。
どういう風に死ねば楽に死ねるのかな
そんなことばっかり考えてましたね。
YOSHIKIは小学生にして、死に方についての本を読み漁り
時には、「飛び降りたら死ねるのかな」
子どもながら、自殺も考えたという。
ス:当時、自分自身も死んでしまいたいという思いはあったんですか?
Y:毎日思ってました。
ただ、その、弟もいますし、母もいたんで。一応長男じゃないですか。
だからなんとなく、自分がしっかりしなきゃいけないのかなみたいな
そう思い始めてたかな。
父を追って、自分も死んでしまいたい。
しかし、そんな考えを踏みとどめたのが、母親の存在だった。
母は、亡くなった夫に代わって女手一つで店を切り盛りし
息子たちにつらい思い出を残さないよう、夫の思い出は写真1枚を残しすべて処分。
休みの日にはYOSHIKIたちを外に連れ出し
亡くなった父の分まで明るく振る舞ってくれたという。
そんな母の心中を察したYOSHIKIは母を気遣い
父を失った悲しみを無理矢理心の奥にしまい込んだという。
Y:父のことは口にしない、誰も口にしなくなりました。
まぁ、(父の話を)した瞬間にみんな泣き出しちゃうんで
普通に父がいなかったんだみたいな感じですね。
やはりまぁ、(母も)つらかったんじゃないかな。
どんなに明るく振る舞おうとも、決して癒えない心の傷。
だが、そんなYOSHIKIの人生を変える衝撃の出会いが。
それは、行きつけのレコード店でのことだった。
Y:父が亡くなった後も、母がレコード買っていいよと言われて
レコード店に頻繁に行くようになって
だいたいいつもクラシックコーナーに行くんですね。
お目当ては大好きだったベートーベンなどのクラシック。
ところが、この日は1枚のレコードが妙に気になった。
歌舞伎役者のような出で立ちでジャケットに映っていたのは
アメリカのロックバンドKISS。
興味本位で聴いてみると、流れてきたのは聴いたこともない防音。
だが、その激しいギターとドラムの音は、YOSHIKIの体を熱くしたという。
Y:すごい衝撃で、何これ?っていう。
父が死んだ後にすごくなんか心の中で爆発的なものが生まれて
たぶん元々あったと思うんです。
ずっと病院に入院してたんで、病室の中でいつもなんか
「この壁全部ぶっ壊したい」「自分はなんでここに閉じ込められてるんだ」
それは体が悪かったんですけど
そういう抑えきれない感情みたいなものがありまして。
4. YOSHIKIの学生時代1
病室に閉じ込められていた幼少時代と
父を失い封印したつらい感情。
それらすべてをロックが吹き飛ばしてくれた気がした。
瞬く間にその虜となった彼は、母に頼み込みドラムセットを購入。
ドラムを叩いている時はすべてを忘れられた。
Y:とりあえず叩くみたいな、気持ちよくて。発散するみたいな感じ。
これ後から聞いたんですけど、10年くらい経ってから聞いたんですけど
実は父がドラマーになりたかったって。
それも母に聞いたんですけど、父の夢だったらしいんですけど。
亡くなった父の人生を追うかのように、ドラムに熱中するYOSHIKIだったが
当時の日本の小学生が海外のロックなど知るはずもなく
当然ながら、話の合う友達は学校にはいなかった。
そんな中、唯一の話し相手が幼稚園からの幼なじみ利三(としみつ)。
何を隠そう、後にX JAPANのボーカルになるToshlである。
Y:なんか、逞しいスポーツマンみたいな。
全然僕とは対照的だった。
「ロック」って言葉自体ないような場所だったので当時。
それでたまたまToshlも知っててKISSを。
それで2人で熱く語り始めた頃が、一番仲良くなった時じゃないですかね。
YOSHIKIは偶然ギターにはまっていたToshlと意気投合。
Y(小学生):よかったら一緒にバンド組もうよ!
Toshl(小学生):うん、いいよ!
こうして2人は、YOSHIKIがリーダーを務め
Toshlがギターを務める小学生バンド「DYNAMITE」を結成。
後にこの2人が、日本を代表する伝説的ロックバンドに成長するなど
この時はまだ知る由もない。
その後、中学に上がってもバンド活動に精を出していたYOSHIKI。
成績も優秀で、Toshlと一緒に入っていたブラスバンド部ではトランペットを担当。
勉強と部活を両立させる模範的な生徒だった。
ところが、そんな彼の学生生活を一変させる出来事が。
髪の長さが校則違反だと、教師に指摘されたのだった。
Y:校則で決まってるって言っても、ほんとに、その程度(スタッフを指して)ですよ。
耳に触る程度。そんなのがいけないんだっていうか。
これに納得できなかったYOSHIKIは
Y(中学生):いやだ。絶対謝らない。
謝る理由なんてないじゃないですか。
教師:なんだその態度は。こっち来い!
反抗的な態度と見なされ、職員室へ。
すると
なんと、無理矢理バリカンで頭を刈られてしまったのだ。
Y:泣いちゃって僕は。
教室戻っていったら、ちょっと僕キューピーみたいに頭が尖ってるんですよ。
みんなに、「かわいい宇宙人」みたいに言われて、また泣いちゃって。
Toshlにも、「未知との遭遇の宇宙人みたい」って言われて
「うるせぇ!」とか言って、また泣いちゃって。
教育とは言え、大人が作った納得できないルール。
この時芽生えたのが、「絶対に先生の言いなりになんてならない」という
大人に対する反抗だった。
これをきっかけに、徐々に反抗心が強くなっていったYOSHIKIは
いつしか、学校一の不良として知られるように。
教師たちが力でねじ伏せようとする度に
ますます反発心が強まったという。
だが、彼が反発していた一番の理由は
Y:ロックをやってたじゃないですか。
やっぱり、「ロック=不良」みたいな感じだったんですね。さらに。
「ロックなんてやってるやつは」って言われた瞬間すごく頭にきた。
「何がいけないんだ?」みたいな。
ドア蹴飛ばして教室出てっちゃってみたいな。悪循環ですよね。
ロックと出会ったことで、父を失った悲しみから立ち上がろうとしていたYOSHIKI。
しかし、そんな彼を再び地獄へと突き落とす出来事が。
それは、心の奥に封印していた父の死の真相だった。