金スマにYOSHIKI 出演。涙の告白…すべて僕のせいなのか。メンバー2人の死、洗脳、父の自殺。(3)
目次
1. オープニング
2. YOSHIKIの幼少期
3. 父の死
4. YOSHIKIの学生時代1
5. YOSHIKIの学生時代2
6. 「X」結成
7. 「X」メジャーデビュー
8. 「X」世界進出
9. Toshlの洗脳騒動、X JAPAN解散
10. HIDEの死
11. 自分にはまだ音楽がある
12. Toshlとの再会、X JAPAN再結成
13. TAIJIの死、そして現在
本記事における会話中の表記
YOSHIKI⇒Y
中居正広⇒中
大竹しのぶ⇒大
室井佑月⇒室
安住紳一郎(TBSアナウンサー)⇒安
スタッフ⇒ス
表記がないものについては画面に表示された文字か
ナレーターが喋った言葉です。
8. 「X」世界進出
その後YOSHIKIは積極的にテレビ出演。
ロックを歌謡曲と同じ土俵に立たせるという信念だった。
そして、圧倒的な人気を誇ったXは
今までになかった「ビジュアル系バンド」というジャンルを確立。
翌年には武道館公演、さらにはデビュー3年目で
東京ドーム公演を成功させた。
そんなXのファンたちは、こぞってコスチュームやメイクを真似したり
YOSHIKIに憧れ、ドラマー志望の若者が急増するなど
「X現象」と呼ばれる社会現象をも巻き起こしていた。
しかし
ボーカルの洗脳から始まる、Xの破滅。
またしてもYOSHIKIに訪れる、メンバー2人の衝撃的な死。
この後、YOSHIKIが次々と明かす
国民的ロックバンド、20年目の真実とは。
中:振り返っていかがでしたか。
Y:そうですね、とても僕破滅的な人間だったので
やはりそのHIDEがいてくれて、Toshlもそうなんですけど
みんながいてくれて、ある種後ろから守ってくれた的な。
中:一人でやっていたらここまで来れなかったかもしれないですし、
Y:無理だと思います。
中:仲間、バンド、チームと一緒にいれたから。
初めてのことやる時ってどうしても反対されますね。
Y:ロックって、自由なものだと思ってたんですよ。
やはりその僕の幼少期というか、父を失って怒り狂っている時に
この怒りを正当化できるもの。
だってステージの上だからぶっ壊したり叫んだりできますけど
あれ街中でやったら大変じゃないですか(笑)
中:街中、ご自宅でもダメです(笑)
本来ならばステージでもダメなんですけどね(笑)
Y:そうですね(笑)
ただなんとなく正当化できる場を立てたのに
出てきたら、ロックとはこうだ、こうしなさいこうしなさいって言われた瞬間に、なんか、
中:相当カチンときましたよね。
Y:全部ぶっ壊してやろうと思いました。
大:(笑)
Y:デビュー当時に、当時ソニーレコードですか
「テレビに出るな」って言われたんです。
「ロックバンドがテレビに出る=価値が下がる」って。
僕はでもその土場で勝負しなければ
100万枚とか東京ドームとかできないと思ったんで、
そこで、あえてですね。
ただその時に、僕は音楽的には自信があります。と。
ダメならダメだって早く分かっちゃった方がいい的な。
その、マスメディアだってところで、自分たちがどういう風に見られるのか興味がありましたし
僕なんかもワクワクしてましたね。
結果的には出てよかったと思っているですけど。
ボーカルToshlの洗脳から始まる、Xの崩壊。
メンバー2人の死。
日本中が震撼する3つの悲劇の始まりは
皮肉にも、YOSHIKIの夢、世界への挑戦からだった。
Y:いきなり大きな目標立てすぎちゃいまして。
それがある種バンドの崩壊に繋がっていったんじゃないかなって。
1991年11月、Xは世界進出に向けて
日本での活動休止を発表。
Y(当時):あらゆる形式、っていうのを壊そうというか。
HIDE(当時):やり通したい、やり遂げたいなと。
国内ラストライブとなる東京ドーム公演は
12万枚のチケットが即日完売した。
そして、国内ラストライブを6日後に控えた1991年大晦日。
Xは、紅白歌合戦に初出場。
世界進出を掲げ、大きな注目を集めていたXだが
この時、YOSHIKIはたった1人、辛い決断をしていた。
紅白が終わった、その直後。
呼び出したのは、バンドのベース、TAIJIだった。
Y(当時):今日で、お前をクビにする。
Y:紅白に出たんですね、その時に。
その後にTAIJIと2人で飲みに行って
TAIJIに「クビだ」と。
で、いつものように殴り合いになりまして。
その後に、メンバーを朝の5時とか6時頃に集めて、元旦ですよね。
こうして、こうしてきたと。
もし、違うと思うんだったら、この場で辞めてくれていいって言って。
みんな納得してくれたので。
スタッフ:(クビにした)理由っていうのは?
Y:まぁ、バンドで決めてた約束を破った。
迎えた、東京ドーム公演。
このライブを最後にTAIJIはバンドを去り
Xは世界を目指すことに。
5万人のファンが一緒に熱唱した、ラストの「ENDLESS RAIN」。
Y:その時は、たぶんお客さんは知らなかったと思うんです。
TAIJIがこれで最後だって。
様々な思いが溢れ、YOSHIKIは涙を止めることができなかった。
Y:TAIJIは「これで最後だ」っていう。
HIDEが入る前にTAIJIがX JAPANに入って。当時Xですか。
その時は本当に嬉しかったんで、すごい辛かったですね。
ベースTAIJIの解雇。
これは、向かっていく破滅への序章にすぎなかった。
そして、メジャーデビューから3年
海を渡ったXは、アメリカのレコード会社と契約。
ベースに新たなメンバーを迎え、バンド名も「X JAPAN」と改名。
世界に向けてスタートを切った。
しかしその船出は、あまりに厳しいものだった。
これは、当時行われた、アメリカでの記者会見の映像。
(会話は英語で行われています)
記者1:英語を母国語としないバンドがアメリカで成功した例はありません。
無理では?
Y:音楽に壁や国境はないと信じています。
記者2:英語を母国語としないバンドが成功するわけない。
英語を母国語としないバンドが成功するわけがない。
海外メディアの評価は厳しかった。
Y:「アンタたち英語が喋れないのに何しに来たんだ」みたいな。
「すげえ」と思って。
「こんなことには負けない。」
YOSHIKIは強い気持ちを胸に、X JAPANとして初のアルバム制作に取り掛かった。
しかし、立ちはだかったのはやはり言葉の壁だった。
ボーカルのToshlが完璧な英語で歌えない。
レコーディングをひたすら繰り返す日々が1年以上も続いた。
Y:日本にいればみんな大スター。
アメリカにいると駆け出しでもない
駆け出しにも至らないバンド。
その狭間を僕らは彷徨っていまして。
やはり、ちょっと休暇ってなるとみんな日本へ戻ってしまいますし
全然気持ちわかりましたし
特にToshlの場合は大きな課題がというか、大きな役割があったので
それに対して僕は理解するどころか、「なんでできないの」って。
強引に引っ張っていかないといけないって思ってたんですけど
強引すぎたのかなって。
海外で成功するために、一切の妥協を許さなかったYOSHIKI。
すると
Toshl(当時):もう俺、限界だよ。
YOSHIKIの高い要求に応えられないToshlは
大きなストレスを抱えるように。
いつしかToshlはスタジオに入ることも拒否し
YOSHIKIとの会話もなくなっていった。
そんな時、Toshlは舞台で出会った新人女優と結婚。
だがこの女性は、ある自己啓発セミナーのメンバー。
そして巻き起こったのが
X JAPANを解散へと導く、Toshlの洗脳騒動だった。
Toshl(当時):あの頃の方が良かったっていう意味での「帰ってきて」だったら
それは申し訳ないけど僕はそこにはもう帰れない。
X JAPAN解崩壊へ繋がる洗脳が水面下で始まっていたことを
YOSHIKIはまだ知る由もない。
この時、Toshlにすり込まれていたのは
「X JAPANなんてのは最も自我の強い、悪の権化だ。」
X JAPAN、つまりYOSHIKIこそ、悪の権化だという洗脳だった。
9. Toshlの洗脳騒動、X JAPAN解散
そして、1997年4月20日。
目は虚ろで、子どもの頃からよく知るToshlの姿ではない。
何を言い出すかは直感的に分かった。
Toshl(当時):俺はこれ以上やっていけない。
Xを脱退したい。
幼い頃からずっと一緒に歩んできたToshl。
Y:Toshlとはね、子どもの時から知ってるんで。友達なんで。
まぁ、実際に会って喋った時に、もう自分の知っているToshlではなかった。
自分はいいけど、(X JAPANは)自分1人のものじゃないんで。
4人で話し合いが行われたんですけど、HIDEがすごく反対したんですよ。
HIDEが懸命に説得したが、Toshlは…
団体にほとんどの財産を奪われ、広告塔にされることを
(この時の)Toshlはまったく気づいていない。
唯一のボーカルの脱退は、X JAPANの解散を意味していた。
そして、1997年9月22日。
Y(当時):本日、9月22日をもって
X JAPANは解散します。
ボーカルToshlの洗脳と脱退。
さらにX JAPANの解散は、連日驚きをもって報道された。
その後、解散ライブは大晦日に1日だけ行うことが決定。
発売された5万2000枚のチケットは、わずか2分で完売した。
そして迎えた、1997年12月31日。
YOSHIKIは、X JAPANを終えるためにライブに向かった。
だがこの時、Toshlは完全に洗脳されている状態。
本番直前、YOSHIKIとHIDEはこんな会話を交わしたという。
HIDE(当時):Toshlがステージで
何を言い出すかわからないけど、その時はどうする?
Y(当時):もし、変なことを言い出したら、マイクの電源を切ろう。
Y:もし何かあった場合は、ボーカルのマイクを切ってくれとか
そういう話をしながら、ただ同時にいろんな思い出もたくさん
走馬灯のように巡ってきて。
Toshlと一言も言葉を交わさないまま始まった
X JAPANの解散ライブ。
日本のロック界に革命を起こしてきたX JAPANのラストライブ。
1つの時代が終わろうとしていた。
そしてコンサートの終盤、YOSHIKIは
Toshlの方へ向かい、Toshlと抱き合った。
この時、どんな思いだったのだろうか。
Y:なんか単純にメンバーを失ったというよりも
幼馴染であり、家族でもある人を失ったんだなっていう。
こうして、YOSHIKIが人生をX JAPANは幕を閉じた。
その後、ギターのHIDEはソロ活動を開始すると
次々と大ヒットを飛ばし、ソロアーティストとして
大きな成功をおさめようとしていた。
実は、HIDEとYOSHIKIは
こんな約束を交わしていた。
HIDE(当時):新しいボーカル見つけたらさ
またXを再結成させて、今度こそ全米デビューを果たそう。
Y(当時):うん。
HIDE(当時):俺は今もX JAPANのHIDEだよ。
Y(当時):ありがとう。
「2000年になったら、X JAPANの再結成をしよう。」
2人は、夢半ばとなった世界進出を諦めてはいなかった。
10. HIDEの死
YOSHIKIの元に信じられない連絡が届いたのは
ラストライブから5ヶ月経った、1998年5月2日。
日本からの緊急電話。
知らされた電話番号にすぐにかけ直すと
知人から告げられたのは、血の気が引くような言葉だった。
茫然とする中、なんとかオフィスに戻り
東京にいるマネージャーに確認をとったYOSHIKI。
マネージャー:今朝、HIDEが亡くなったんです。
Y:嘘だと思いました。
信じなかったです。
あのHIDEが、死ぬわけがない。
半信半疑のまま、飛行機に飛び乗ったYOSHIKI。
すると
Y:飛行機の中でニュースが流れてきました。
そこで号泣ですね。
YOSHIKIの目に飛び込んだのは
HIDEが命を絶ったというニュースだった。
空港には、YOSHIKIの帰国を待つマスコミが押し寄せていたが
コメントなどする気にもなれない。
元々、別のバンドで活動し、音楽の道を諦め
美容師になろうとしていたHIDEをXに誘ったのがYOSHIKI。
HIDEは生前、YOSHIKIについてこう語っていた。
HIDE(当時):XでいるときはやっぱりYOSHIKIという屋台骨があって、ボスがいて
僕基本的にXをやっていたのはYOSHIKIの魅力っていうのによる所が大きくてね。
YOSHIKIがいたからこそ、XをやっていたというHIDE。
再結成を約束していたのに、なぜこんなことに。
悲しすぎる再会だった。
Y:やっぱりその、X JAPANの中では
自分が最初に死ぬと思ってたんで
やっぱり、その…、とりあえず起こそうとしたのは覚えてますね。
そして翌日、YOSHIKIの心をさらに打ちのめす出来事が。
それは、HIDEの死を憂いた少女たちが
後追い自殺をしているという、衝撃の事実だった。
悲しい死の連鎖を止めるためには
リーダーのYOSHIKIが呼びかけるしかなかった。
Y(当時):今回、突然彼の死を聞いて、とてもショックです。
今もまだ、信じられない気持ちです。
この悲しみをとても言葉などでは表現できませんが
ただ、今こうなってしまった以上
僕らは、現実をしっかり受け止めなければならないと思います。
ファンのみんなも頑張ってください。
いつも僕らを励まし、彼の永遠への眠りを温かく見守ってあげてください。
X JAPANリーダーYOSHIKI。
YOSHIKI自身がカメラの前で話せる精神状態ではない。
しかしそれが、Xを作ったリーダーとしての務めだった。
そして、1998年5月6日に行われた告別式。
献花に訪れたファンは5万人。
隅田川に沿って並び、その列は2kmにまで伸びていた。
元メンバーたちと送った、レクイエム。
去っていったToshlとの再会でもあった。
これが、解散からわずか5ヶ月後の出来事だった。
YOSHIKIの人生に再び訪れた、大切な人の死。
1人ロサンゼルスに戻ったが、心はもう限界にきていた。
Y:僕がHIDEをX JAPANに誘ってなかったら
生きてたんじゃないかとか
そういうことを考えてましたね、当時は。
自分が作ったXはなんだったのか。
Toshl(当時):スターになっても全然幸せにはなれませんでした。
スターになったら幸せ、偉くなったら幸せ、そんなの嘘っぱちです。
今ビジュアル系みたいな人たちがいますけど、非常に申し訳ないと思います。
なぜなら、いくらビジュアル系やろうと、いくらスーパースターになろうと偉くなろうと
そんなところに本当の幸せはないからです。
そして、YOSHIKIは、
「二度とステージには立たない」
そう決意するのであった。