私はこれまでの人生の中で、トラウマや鬱っぽさについて自力で研究を重ねてきた。
鬱っぽい
過去の記憶に翻弄される
このしんどさが、私の中で限界を迎えていたからだ。
研究の過程で、私は、頭の中の自己否定というものに気づいた。
これはもう4年以上前の話。
これはもう4年以上前の話。
はじめて自分の頭の中の自己否定に気づいた時は
「自分自身がこんなに自分を傷つけていたなんて…」
「それも何十年もの間それに気づかなかったなんて…」
と衝撃を隠せなかった。
それから私は、
・自己否定
・過去記憶(トラウマ)
を中心に研究を重ね、しんどさからの脱却を目指してきた。
しかし私はまだ、しんどさからの脱却を果たせずにいる。
つまり、私がこれまでの4年間ちょっとの間やってきたことは、 すこしズレている のではないかと感じている。
つまり、私がこれまでの4年間ちょっとの間やってきたことは、 すこしズレている のではないかと感じている。
私がこの4年ちょっとで試してきたことを、少しだけ列挙してみる。
・自己否定に気づく
・自己否定が何て言っているのか詳細に聞く
・自己否定を発する意識の意見を尊重する(奴隷になる)
・過去記憶(トラウマ)を知る
・過去記憶(トラウマ)をひたすら吐き出させる
・過去記憶(トラウマ)に同情、共感、癒しを与える
・過去記憶(トラウマ)を変える
・自己否定を止める方法をとにかく試す
・自己否定に全力で怒りをぶつける
・自己否定を無視する
つまり、
自己否定と過去記憶(トラウマ)に対して
ありとあらゆる接し方を試して
どれも失敗に終わった、という感じである。
自己否定と過去記憶(トラウマ)に対して
ありとあらゆる接し方を試して
どれも失敗に終わった、という感じである。
100%失敗ではないかもしれないし
改善した部分もたくさんあるかもしれない。
ただ、まだ私の中では、
しんどさが残り、違和感が残り、たまに死にたいという感情が芽生える。
しんどさが残り、違和感が残り、たまに死にたいという感情が芽生える。
「これだけたくさん試したけどダメだった」
という事実を踏まえて、昨日までの自分に、新たな視点を与えたい。
という事実を踏まえて、昨日までの自分に、新たな視点を与えたい。
それは、
・自己否定してるからしんどい
・過去記憶(トラウマ)が襲ってくるからしんどい
というこれまでの解釈の一歩先をいってほしい、ということ。
自己否定や過去記憶(トラウマ)があるから、ではなく
自己否定や過去記憶(トラウマ)と適切な接し方ができていないから、という考え方に変えてみる。
自己否定や過去記憶(トラウマ)があるから、という考えになると
自分の一部であるそれらを否定し、除け者にし、自分の中で対立を生むことになる。
こうして自らの手で対立を生んでいるからしんどくなるのかもしれない。
こいつら(自己否定やトラウマ)をどうしよう、ではなく
こいつら(自己否定やトラウマ)とどういう接し方をしよう、を考える。
これがこれからの私の課題です。

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