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すべての物事は自己否定に繋がってるか自己否定と繋がってる。

自己否定をする。
こうでなければいけないと思う。
私はこれだけ努力したのになぜ叶えられない?と思う。
私はこれだけのことができる人なのにと思う。

本来私たちはできる時とできない時、愛される時と愛されない時がある。
できない・愛されない時に、「このままでは私は生きられない。こんな私では存在価値がない。もしかして私はいらないのでは?」と盛大な勘違いをしてしまう。
※これが不幸の法則

この世の中は表裏一体で、すべてを体験するために生まれてきたのに、「こんなことが自分の身に起こってはいけない」と片方だけを否定していると、そんなことは不可能だから、バランスを取るためにそっちばかりが襲ってくるようになるらしい。

これは生存本能。
「そうしないと生きていけない」と本気で思い込んでいるから仕方がない。
だからこそ強烈な自己否定をする。

自己否定をして、「こういう現実でなければいけない」としがみついていることに気づいたら、「こういう現実でなかった時に生きていけないと怯えている」ことに気づいて、どれくらい怯えているのかという本心に気づく。
自己否定は本当の私ではない。

 

しがみついていた現実が叶わなかった時に、「確かに生存本能でこの現実にしがみついていたかもしれないけど」と思いつつ、例えば「愛されたかったのに愛してくれなかった」時に、「あの男は不誠実じゃない!?成敗した方がいい!!!!」となる時も、本当は自分のことを責めている。

だから相手に怒ってもどこか虚しいのだな、と。

でも、自己否定を受け入れることができないから、目の前に責めたくなる人を置いて、自分に対する責める気持ちを別の存在に置き換えることで、とりあえずスッキリさせてる。

自分は「こんなことができない、足りない、欠けている、弱い、かっこ悪い、劣っている、失敗ばかり、不甲斐ない、役立たず、愛されない、守られない、相手に迷惑、恥ずかしい、価値がない、存在が罪、幸せになってはいけない」という自己否定はすべて錯覚なのだが、その自己否定を認めてしまうと「自分には存在価値がない」というさらに錯覚を引き起こすから、それを認めるなんて到底無理で、だから他人を責めている。

 

本当はもっと言うと、「本当の自分に気づいてしまうのが怖い」というのがあるらしい。
それ故に自分と仲が悪くなって落ち込んでいる。
少しずつでいいから「感情を感じる」ことで、少しずつ改善していく。

他人のせいにして感情を置き換えるのではなく、少しずつ感情を感じる。
責めたくなる相手が目の前に現れるのは、自分から自分を責めたいと思っているからであって、相手はそれを演じてくれているだけだと知る。

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