金スマにYOSHIKI出演。涙の告白…すべて僕のせいなのか。メンバー2人の死、洗脳、父の自殺。(4)
目次
1. オープニング
2. YOSHIKIの幼少期
3. 父の死
4. YOSHIKIの学生時代1
5. YOSHIKIの学生時代2
6. 「X」結成
7. 「X」メジャーデビュー
8. 「X」世界進出
9. Toshlの洗脳騒動、X JAPAN解散
10. HIDEの死
11. 自分にはまだ音楽がある
12. Toshlとの再会、X JAPAN再結成
13. TAIJIの死、そして現在
本記事における会話中の表記
YOSHIKI⇒Y
中居正広⇒中
大竹しのぶ⇒大
室井佑月⇒室
安住紳一郎(TBSアナウンサー)⇒安
スタッフ⇒ス
表記がないものについては画面に表示された文字か
ナレーターが喋った言葉です。
11. 自分にはまだ音楽がある
中:それこそもう
Y:そうですね…、あの、自殺じゃないと今でも思ってるんですけど
そういうタイプの人じゃないというか、すごく、冷静に考える。
HIDEって奇抜に見えますけど、すごく頭もよくて
僕の100倍、理にかなっている人で。
だから、絶対自殺じゃないんですけど
ただ、死んだことには変わりないじゃないですか。
それが辛かったですね。
中:お父さんの死もそうですし、HIDEさんの死もそうですし
なんか、ぼんやりとしているというか
明確のことがわからずのお別れというか。
大:突然のね…
中:残された人間はやっぱり複雑ですよね。受け入れるには。
Y:そうですね、まぁ、クエスチョンマークというか、疑問を背負っていかなきゃいけないというか。
大:だってその前にも辛い、大きなことがあるわけじゃない
解散とか、1人の人、メンバーを変えるとか、リーダーとしてのすごい辛いことを…
Y:当時はファンの方がどんどんマイナスというかネガティブというか
後追い自殺の話も聞きましたので、これは止めなきゃいけないということで
僕だけじゃなくメンバーと一緒に記者会見を開いて
みんなで頑張ろうよみたいな、なんか、前向きに前向きにってやってたんですけど
実は、言っている自分も全然前向きじゃなくて。
中:まぁ、背負ってしまいますよね。
自分がスタートさせたX、X JAPAN。
Y:素敵な思い出とかもたくさんあるんですけど、やはりその瞬間にすべてが…。
自分をとにかく責めました。
自分がもしHIDEを誘ってなかったら、まだ生きてたんじゃないかとか。
中:先ほどのお父様が亡くなられた時の思い出
楽しいことが1%の…覆いつくしてしまうってので、全部が消えてしまう。
同じような…。HIDEさんも年齢的にいうと33とか4ですよね。
Y:同い年でした。ほとんど父親と。
ファンの人たちをどうしようかというか、それも含めて全部自分の責任だと。
大:ToshlさんとHIDEさんのお別れの式で一緒に歌うなんて、辛いですね。。
Y:辛かったですね。あとTAIJIとの再会でもあったんんですよ。そのお葬式が。
なんかもう真っ白というか、ブラックアウトされてしまいまして頭の中が
とりあえずそういう断片的にそういうことは覚えているんですけど。。
中:Toshlさんとの解散、最後のライブ、覚えてらっしゃいますか。
Y:覚えてます。
中:どんな思いなんでしょう。
Y:あのステージで、実は僕がToshlの方に歩いていって対面するシーンがあるんですけど
中:あれリハーサルとかやられたんですか。
Y:やっていないです。
本番で、ですけど、ぶん殴ってやろうと思ってました。
だけど、目の前に現れたのは幼馴染のToshlで。
大:泣いてましたねToshlさんも。
Y:やっぱり、抱きしめてしまいました。
中:仲間でもあり、メンバーでもあり、友達ですからね。
Y:まぁ、ね、どんなToshlでもやっぱり
幼馴染のToshlなんだなっていうのは、その瞬間に。
中:消化しきれないですよね。
ToshlさんのこともそうですしHIDEさんのことも
消化しきれないままですよね。
Y:そうですね…。
中:だからお父さんのことも消化しきれてないままなのかなって。
Y:僕そのHIDEの死の後ですか
精神科みたいなところに行ったんですよね。
もうちょっとわからない、と。
スタッフからしたら私はいつ手首を切ってもおかしくないような
感じだったと思ってるんで病院に通い始めたんですけど
説明してたら頭きちゃったんですよね。
ようするに、僕の人生を話し始めたんですよね1つ1つ。
(カウンセラーの人に)まずまず分かる、うんうんって言われたんですけど
そんなの分かるわけないじゃねーかみたいな。
怒り始めたらだんだん正常になっていったみたいな。
それでまぁ1曲だけ曲を書こうと。
HIDEの、X JAPANのための。
その曲を書いて、僕はX JAPANのドアを閉めたっていう。
中:さぁこのどん底の状態からどのようにして立ち上がっていったのでしょうか。
続きをどうぞ。
突然訪れた、盟友HIDEとの別れ。
以来、もう表舞台には立たないと決めていたYOSHIKI。
転機が訪れたのは、HIDEの死から1年が経った1999年の夏。
思いもよらない依頼だった。
それは、天皇陛下御即位10年をお祝いする
祝賀式典のための曲作りと、陛下の前でのピアノ演奏の依頼だった。
Y:そんな大役を僕が務められるのかなという。
引き受けていいのだろうかっていうことが一番でしたね。
もう2年以上もステージには立っていない。
曲は作れても、その舞台に立つ勇気がどうしても湧かなかった。
そこで相談したのが、実家の母だった。
すると母はいつもの明るい調子でこう言った。
YOSHIKI母(当時):もちろん大変でしょうけど
そんな大役をいただいたことに感謝して、やってみたら。
Y:ある種どん底に精神的にいた時だったので。
母の言葉に背中を押され、作曲を始めたYOSHIKI。
すると、驚くほどたくさんのメロディーが溢れ出していた。
Y:今まで封印していた自分が一気に出てきて
メロディーが溢れ返ってきて。
それがきっかけとなってまた前に進めるんじゃないかって。
1999年 天皇陛下御即位10年祝賀式典
ピアノ協奏曲「Anniversary」
YOSHIKIが紡ぎ出した、8分間のピアノ協奏曲「Anniversary」。
「自分にはまだ音楽がある」
そう感じた瞬間だった。
その後、2005年には名古屋で行われた
「愛・地球博」の公式テーマ曲をプロデュース。
日本を代表する作曲家として、YOSHIKIは不動の地位を築いた。
12. Toshlとの再会、X JAPAN再結成
そして解散から10年が過ぎた2007年のある日のこと。
まさかの人物から連絡が入った。
電話は、二度と会うことがないと思っていたToshlだった。
Y:(電話に)出たら、もちろんすぐに分かりますよね。
XのToshlなんですよね。
最初はオバケが出たみたいに思いましたよ(笑)
スタジオの中に戻ってきて、みんながキョトンと見てるんで
「何があったの?」って言うから
「想像もしてなかったことが起こった」って(笑)
で、結局会うことになったんですよね。
会うのは、解散した直後のHIDEの告別式以来。
まだ洗脳状態ではあったが、およそ10年振りの再会。
その時のことを、2人はこう語っている。
Toshl(当時):一緒にご飯行ったでしょ?
あの時はすごく僕にとって大きかったね。
Y(当時):ほんと?
Toshl(当時):ずっと子どもの頃から、今みたいな話じゃないけど
そういう話しかしなかったじゃん。
Y(当時):しなかった。
Toshl(当時):だからあの時に、結構何かこう
普通の自分の感情が戻ってきて。
「本当に笑う」っていうことができなかったんだけど
Y(当時):でも笑ってたよ、結構。
Toshl(当時):だからあの時、すごく笑ったわけ。
実はこの時、お金目当てにX JAPANの再結成を
団体から指令されていたToshl。
Toshl(当時):だからこっちである種の使命があったんだけど
汚い使命感があったんだけど
でも、「Without you」っていう曲をね
あの時に聴いて、すごく涙が出てきて
あういう感情になったのは本当に久しぶりだった。
なんか、なんとも言えない。胸がいっぱいになった。
この時、YOSHIKIがToshlに聴かせたのが
HIDEが亡くなった時に作り、ずっと封印していた歌。
Y(当時):実はこれ、HIDEが亡くなった時に
HIDEのためを思って作った曲なんだよ。
Toshl(当時):HIDEのために?
Y(当時):これを歌えるのはToshlしかいないと思って、ずっと封印してきたんだ。
天国のHIDEのために作った「Without you」。
歩き疲れた夜に佇む
流れる涙を記憶に重ねて
Y:ただやはり、もう会わないと思っていたので。一生。
嬉しかったですね。まず生きていてくれたことが…。
HIDEが僕らをまた、会わせてくれたんじゃないかって思いましたね。
HIDEのために書いた曲でまたToshlと出会い、再会して
また活動することになったので。
こうして2007年、X JAPANは再結成。
翌年には、再結成コンサート
「攻撃再会2008I.V.~破滅に向かって~」を行った。
このライブには、特殊映像によって
実際にHIDEがステージにいるような演出が。
これはYOSHIKIがこだわった
5人でのX JAPANコンサートが実現した瞬間だった。
13. TAIJIの死、そして現在
そして2010年に行った横浜公演では
TAIJIを招き、18年ぶりに共演を果たした。
昔と変わらぬ演奏で、会場を大きく盛り上げたTAIJIだが
翌年、45歳の若さで急逝。
報道によれば、彼はサイパンで自ら命を絶ってしまったという。
旅立ってしまった2人のメンバー。
それでも、YOSHIKIは立ち止まることはなかった。
2012年には、YOSHIKIは
アメリカ、ゴールデングローブ賞授賞式での公式テーマソングを作曲。
さらに、X JAPANとして、
アメリカとイギリスのロックの殿堂「マディソン・スクエア・ガーデン」(2014年)と
ロックの殿堂「ウェンブリー・アリーナ」(2017年)を制覇。
さらに昨年(2017年1月)は
クラシックの殿堂「カーネギー・ホール」で単独ピアノコンサートを開催し
音楽の3大殿堂を制覇。
2017年、映画「WE ARE X」全世界公開
日本人男性初、雑誌「VOGUE」の表紙を飾る
今なお、日本ではなく海外で次々と挑戦を続ける
YOSHIKIの原動力とは、一体何なのか。
こんな質問をぶつけてみた。
スタッフ:YOSHIKIさんが今背負ってるものって何ですか?
Y:うーん…。HIDEとTAIJIの夢。
それはもちろん僕の夢でもあるし。
生きる意味を見出せなかった少年が
仲間と出会い、共に追い掛けた、世界という大きな夢。
天国の友たちの思いを背負って
YOSHIKIは今も走り続けている。
中:神様は、耐えることのできない人間には試練を与えないって言いますが
Y:その言葉は僕大好きな言葉で
過去を輝かすか、とても暗いものにするかっていうのは、未来が決めるって思ってる。
海外に関して言うと、まだほんとにドアをちょっと開けた程度で
風穴がちょっと開いているぐらいで、まだまだ壁がいっぱい立ちはだかってるんですけど
僕らが越えていったことによって、いかにHIDEが偉大だったか
いかに、TAIJIも素晴らしいプレーだったので
それをまだ知らない人にも、世界に伝わっていくじゃないですか。
だからまだここじゃ終われない。
中:こんなところで自分はくたばってられないと。
Y:そうですね。
中:いろんな演奏シーンありましたが、聴きたいですよね。
生で聴かせていただくのが一番だと思いますけど。
会場:(拍手)
Y:さっき皆さんと一緒にビデオ見させていただいて
僕ボロボロ泣いてまして(笑) 顔大丈夫ですか?
今夜YOSHIKIが演奏してくれるのは
自身の壮絶な人生を奏でた「MIRACLE」と
X JAPANの転機となった名曲「ENDLESS RAIN」。
中:さて今夜は特別にYOSHIKIさんから2曲お送りいただけるということなんですけれども
「MIRACLE」という曲と「ENDLESS RAIN」というこの2曲
YOSHIKIさんにとってどのような思いの曲でしょうか。
Y:2曲目のENDLESS RAINって曲はやはり、僕が最初に書いたバラードですね。
X時代に、HIDEとTAIJIと、今のメンバーみんなのことを思って弾きたいと思っています。
そして最初の曲ですけど、MIRACLEというのは、奇跡。
奇跡は、起こるんだなと。
そして、起こすものなんだなと。
自分の人生がある種、皆さんに与えていただいた奇跡のようなものなので
その気持ちを込めて演奏したいと思います。
中:さぁそれでは参りましょう。
金スマ、スペシャルメドレーご覧くださいどうぞ。
(YOSHIKI演奏)
赤裸々に語ってくれたYOSHIKIの過去。
YOSHIKIは今、(2018年)7月に行われるコンサートに向け、多忙な日々を送っている。
彼の本拠地はアメリカ・ロサンゼルス。
一体どんな生活を送っているのか。
金スマのカメラは、YOSHIKIを追い続けていた。
次々と明らかになる驚きの私生活。
YOSHIKIの友人はアメリカの大豪邸に住むあの大スター。
ビッグすぎる友たちが語る、YOSHIKIの素顔とは!?
さらに金スマのカメラが捕らえたのは
ど派手な生活に隠された、テレビでは決して見せない姿だった。
金スマは、YOSHIKIにどこまで迫れるのか!?
近日公開!